
1957 – 2020 · 殉教者
ガーセム・
ソレイマーニー
司令官
ケルマーンの山あいの村に生まれ、羊を追い、働きながら育った少年は、やがて「聖なる防衛」の前線に立ち、地域の平和を守る司令官となりました。2020年1月3日、バグダードで殉教。人々が親しみを込めて「ハージ・ガーセム」と呼んだその生涯をたどります。
PROFILE
村の少年から司令官へ
ガーセム・ソレイマーニーは1957年3月11日(イラン暦1335年エスファンド月20日)、イラン南東部ケルマーン州ラーボル地方の山村ガナーテ・マレクで、農家の家に生まれました。少年時代は羊の世話をして過ごし、小学校を終えると、仕事を求めて州都ケルマーンへ出て、建設現場で働きました。
18歳のころからはケルマーンの水道事業で働きました。1979年のイスラーム革命ののち、ケルマーンでイスラーム革命防衛隊に加わり、翌年に始まったイラン・イラク戦争、イランでいう「聖なる防衛」の8年間を前線で過ごします。
1990年代の終わりからはゴドス部隊の司令官として、地域の安全保障を担いました。イランでは、イラクとシリアでのIS(いわゆる「イスラーム国」)との戦いを支えた人物として記憶されています。
TIMELINE
生涯の歩み
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19573月11日ケルマーン州の山村に生まれる
ラーボル地方ガナーテ・マレク村の農家に生まれる。
ケルマーン州の山村に生まれる
ラーボル地方ガナーテ・マレク村の農家に生まれる。
父はハサン、母はファーテメ。少年時代は羊の世話をして過ごしました。のちに本人が書き残した手記には、この村での子ども時代が描かれています。
1970年代ケルマーンで働く
小学校を終えて町へ出て、建設現場で働く。
ケルマーンで働く
小学校を終えて町へ出て、建設現場で働く。
18歳のころからはケルマーンの水道事業で働きました。この町で、やがて革命へと向かう時代を迎えます。
1979–80革命防衛隊に加わる
イスラーム革命ののち、ケルマーンで革命防衛隊に加わる。
革命防衛隊に加わる
イスラーム革命ののち、ケルマーンで革命防衛隊に加わる。
ケルマーンの訓練施設で教官を務めたのち、1980年に始まった戦争で前線に向かいました。
1980–88聖なる防衛
ケルマーンの第41サーロッラー師団を率いる。
聖なる防衛
ケルマーンの第41サーロッラー師団を率いる。
20代半ばで師団長となり、ヴァルファジュル8、キャルバラー4・5などの作戦に加わりました。戦争中に二度負傷しています。
1998ゴドス部隊司令官
革命防衛隊ゴドス部隊の司令官に任命される。
ゴドス部隊司令官
革命防衛隊ゴドス部隊の司令官に任命される。
以後20年あまり、この任にあたりました(任命はイラン暦1376年)。
2014–17ISとの戦い
イラクとシリアで、ISとの戦いを支える。
ISとの戦い
イラクとシリアで、ISとの戦いを支える。
イランでは、アーメルリーの包囲の解放(2014年)、ティクリート(2015年)、シリアのアブー・カマール(2017年)などで、両国の人々とともに戦った司令官として語られます。
201711月21日ISの支配の終わりを報告
最高指導者に宛てた書簡で、ISの支配の終結を報告する。
ISの支配の終わりを報告
最高指導者に宛てた書簡で、ISの支配の終結を報告する。
アブー・カマールの奪還ののちに送られたこの書簡は、イランで広く報じられました。
20193月ゾルファガール勲章
イランの軍事勲章の最高位、ゾルファガール勲章を最高指導者から授与される。
ゾルファガール勲章
イランの軍事勲章の最高位、ゾルファガール勲章を最高指導者から授与される。
勲章を胸にした写真は、今も彼を象徴する一枚として知られています。
20201月3日殉教
バグダード空港近くで、アメリカ軍の無人機攻撃により殉教。62歳。
殉教
バグダード空港近くで、アメリカ軍の無人機攻撃により殉教。62歳。
金曜日の未明、イラクの人民動員隊副司令官アブー・マフディー・アル=ムハンディス氏ら、イランとイラクの同行者とともに命を落としました。死後、中将に昇進しています。
20201月4〜7日イラクとイランでの葬送
バグダード、キャルバラー、ナジャフ、アフヴァーズ、マシュハド、テヘラン、コム、そしてケルマーン。
イラクとイランでの葬送
バグダード、キャルバラー、ナジャフ、アフヴァーズ、マシュハド、テヘラン、コム、そしてケルマーン。
テヘランでは1月6日、最高指導者がテヘラン大学で葬儀の礼拝を導きました。故郷ケルマーンの殉教者墓地に埋葬されています。
AGAINST ISIS
イランが語る「地域の守り手」
ここではイランでの見方と評価を紹介します。

2014年、ISがイラクとシリアの広い地域を制圧し、多くの町や聖地が脅かされました。イランは両国政府の要請にこたえて支援を行い、その中心にいたのがソレイマーニー司令官でした。
イランでは、彼がイラクの人民動員隊やシリアの人々とともに前線に立ち、民族や宗派をこえて地域の町と人々を守ったことが語り継がれています。
2017年11月21日、彼は最高指導者に宛てた書簡で、ISの支配が終わったことを報告しました。2019年3月には、イランの軍事勲章の最高位であるゾルファガール勲章が授与されています。
アーメルリー
イラク北部、ISに包囲されたトルクメン系住民の町。包囲の解放はイランで彼の名とともに語られます。
ティクリート
イラク中部の都市。ISからの奪還作戦を支えました。
アブー・カマール
シリア東部、イラク国境の町。ISの最後の拠点のひとつでした。
終結の報告
11月21日、最高指導者への書簡でISの支配の終わりを報告しました。
THE MAN
軍服の内側にある素顔
本人の手記や遺言、家族の証言など、確かめられることだけを紹介します。

羊飼いの少年
山あいの村で羊の世話をして育ちました。自然の厳しさと、貧しくても助け合う村の暮らしが、彼の原点でした。
10代から働く
小学校を終えるとケルマーンの町へ出て、建設現場で働きました。のちに水道事業の仕事に就きます。
自ら綴った手記
子ども時代から1978年までを自ら書き綴った手記『わたしは何も恐れなかった』は、殉教から1年後の2021年1月に出版されました。戦争で傷ついた手で書いたと、娘のゼイナブさんが語っています。
家族
若くして結婚し、子どもたちに恵まれました。殉教後、娘のゼイナブさんは父の思い出を語り、その歩みを伝え続けています。
遺言
遺言は殉教40日目の追悼式で読み上げられました。殉教者の子どもたちを大切にすることや、軍の人々への敬意を求めています。
「兵士」とだけ
墓石には飾った言葉を刻まず、「兵士ガーセム・ソレイマーニー」とだけ記すよう望みました。その墓は今もそのとおり、簡素なままです。
FINAL CHAPTER
1月3日の夜明け
2020年1月3日金曜日の未明、バグダード国際空港の近くで、ソレイマーニー司令官の一行の車がアメリカ軍の無人機による攻撃を受けました。司令官は、イラクの人民動員隊副司令官アブー・マフディー・アル=ムハンディス氏、そしてイランとイラクの同行者たちとともに殉教しました。62歳でした。
葬送は1月4日のバグダード、キャルバラー、ナジャフに始まり、5日にアフヴァーズとマシュハド、6日にテヘランとコムへと続きました。テヘランでは最高指導者がテヘラン大学で葬儀の礼拝を導き、イランでは数百万人が見送ったと伝えられています。
1月7日、故郷ケルマーンでの葬送には大勢の人が詰めかけ、群衆の混乱で50人を超える人々が亡くなる悲劇も起きました。司令官は、願いどおり故郷の殉教者墓地に、戦友たちのそばに葬られました。

RESTING PLACE
ケルマーンの殉教者墓地

ソレイマーニー司令官は、故郷ケルマーンの殉教者墓地(ゴルザーレ・ショハダー)で、イラン・イラク戦争をともに戦った仲間たちのそばに眠っています。墓石には、本人の望みどおり「兵士ガーセム・ソレイマーニー」とだけ記されています。
墓所には一年を通じて多くの人が訪れ、命日の1月3日(イラン暦デイ月13日)の前後には、全国から追悼に人々が集まります。
2024年1月3日、四周年の追悼に向かう人々の列で爆弾テロが起き、多くの市民が犠牲になりました。ISが犯行声明を出しています。犠牲となった人々の冥福を祈ります。
REMEMBRANCE
命日
命日は西暦1月3日、イラン暦ではデイ月13日です(ほとんどの年で同じ日になります)。
殉教の日(1月3日・デイ月13日)
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QUESTIONS
よくある質問
「ゴドス部隊」とは何ですか?
なぜ「殉教」と呼ばれるのですか?
なぜ「ハージ・ガーセム」と呼ばれるのですか?
どこに眠っていますか?
命日はいつですか?
OFFICIAL SOURCES





