19636月5日
ホルダード月15日の蜂起
イマーム・ホメイニー師の逮捕に抗議して、各地で人々が立ち上がる。
アーシュラーの日(6月3日)にコムのフェイズィーイェ学院で王制を批判する演説を行ったイマームは、2日後の未明に逮捕されました。テヘランやコムなどで抗議が広がり、多くの犠牲者が出ました。イランではこの蜂起を、革命へと続く運動の出発点と位置づけています。
196411月4日
外国人に特権を与える法律(カピチュレーション)に反対したため、イマームは国外へ追放されました。約1年をトルコで過ごしたのち、1965年にイラクの聖地ナジャフへ移り、そこで13年間、教え、書き、運動を導きました。
19781月9日
コムの蜂起
新聞記事への抗議デモで死傷者が出て、全国的な運動の始まりとなる。
イマームを中傷する新聞記事に抗議したコムの人々に銃が向けられ、犠牲者が出ました。その40日後の追悼(チェヘロム)がタブリーズで新たな抗議となり、40日ごとの追悼集会が各地へと連鎖していきました。
19789月8日
ジャーレ広場の悲劇
戒厳令下のテヘランで、集まった人々が銃撃される。
この日は「黒い金曜日」と呼ばれ、多くの犠牲者が出ました。広場は今、「殉教者広場(メイダーネ・ショハダー)」と呼ばれています。
197810月
パリ郊外へ
イマームはナジャフを離れ、パリ郊外のノーフル・ル・シャトーへ。
ここから世界のメディアを通じて、イラン国民への呼びかけが日々伝えられるようになりました。
197812月10–11日
タースーアーとアーシュラーの大行進
テヘランで数百万人規模の平和的な行進。
イマーム・フセインを悼む宗教暦の日に、人々は喪の行列を大きな行進に変え、王制の終わりを求めました。運動の広がりを世界に示す出来事となりました。
19791月16日
国王が国外へ
モハンマド・レザー・パフラヴィーがイランを離れる。
街では人々が喜びを分かち合い、関心はイマームの帰国へと移りました。
19792月1日
イマームの帰国
14年余りの亡命を終え、テヘランのメヘラーバード空港に到着。
沿道を埋めた数百万人の人々に迎えられ、イマームはまず革命の殉教者が眠るベヘシュテ・ザフラー墓地を訪れて演説しました。この日から2月11日までが「暁の10日間」です。
19792月11日
前日、人々はイマームの呼びかけに応えて外出禁止令を破り、街頭に出ていました。11日、軍最高会議が中立を宣言し、ラジオは革命の勝利を伝えました。
19794月1日
イスラーム共和国の日
国民投票の結果、98.2%の賛成でイスラーム共和国が成立。
3月30〜31日(ファルヴァルディーン月10〜11日)の国民投票の結果が4月1日に発表されました。この日は今も「イスラーム共和国の日」として祝日です。同じ年の12月には、新しい憲法も国民投票で承認されました。