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こんにちは、イラン
IraNippon特集 · 創設者
イマーム・<br>ホメイニー師

1902 – 1989 · イスラーム共和国の創設者

イマーム・
ホメイニー師

ホメインという小さな町に生まれ、コムで学び、教え、神秘思想と詩を愛した一人の学者。15年近い流刑を経て1979年2月1日に帰国し、イスラーム共和国を築きました。その生涯を、学者として、神秘家・詩人として、そして指導者としてたどります。

1902ホメインに生まれる
1964国外へ追放
1979帰国・革命
1989逝去
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PROFILE

学びの町コムから

セイイェド・ルーホッラー・ムーサヴィー・ホメイニー師は、1902年9月24日、イラン中部の町ホメインで、宗教学者の家に生まれました。父は彼が生後数か月のときに亡くなり、母と叔母の手で育てられます。「ホメイニー」という名は、この故郷の町の名に由来します。

青年期にアラークで学び、師アブドルキャリーム・ハーエリー・ヤズディー師に従ってコムへ移ります。コムでは法学・法源学に加え、哲学、神秘思想(エルファーン)、倫理を深く学び、やがて自ら教えるようになりました。その倫理の講義には多くの学生が集まりました。

1963年の運動を機に国外へ追放され、トルコ、イラクのナジャフ、フランスで15年近くを過ごしました。1979年2月1日に帰国し、同年の国民投票でイスラーム共和国が成立。1989年6月に世を去るまで、その最高指導者を務めました。

TIMELINE

生涯の歩み

項目を選ぶと詳しい説明が開きます。

19029月24日

ホメインに生まれる

宗教学者の家に生まれ、幼くして父を亡くす。

母と叔母に育てられ、6歳ごろからクルアーンとペルシア語の読み書きを学びました。15歳のころ、その二人も相次いで亡くしています。

1920–21

アラーク、そしてコムへ

ハーエリー・ヤズディー師のもとで学び、師に従ってコムへ。

ハーエリー師はコムの神学校を再興した人物で、以後コムはイラン最大の学問の町となります。ホメイニー師は生涯の大半をこの町と結びつけて過ごしました。

1928

最初の著作

『暁の祈りの注解』をアラビア語で著す。

ラマダン月の明け方に唱えられる祈り(ドアーイェ・サハル)を、神秘思想の視点から読み解いた本です。翌1929年に結婚しました。

1930s–40s

コムで教える

哲学、神秘思想、倫理、そして法学を教える。

神秘思想ではシャーハーバーディー師に師事しました。『四十のハディース』『礼拝の作法』などの倫理・霊性の書や、社会を論じた『秘密の開示』を著したのもこの時代です。

19636月5日

ホルダード月15日の蜂起

コムでの演説の後に逮捕され、各地で抗議が起こる。

アーシュラーの日(6月3日)にコムのフェイズィーイェ学院で王政を批判する演説を行い、2日後の未明に逮捕されました。この日はのちに革命運動の出発点として記憶されます。

196411月4日

トルコへ追放

外国人の治外法権に反対したことで、国外追放に。

トルコのブルサで約1年を過ごし、その間に法学の主著『タハリール・アル=ワシーラ』を書き上げました。

1965–78

ナジャフの13年

イラクの聖地ナジャフで教え続ける。

1970年、ナジャフで「イスラーム法学者による統治」についての講義を行い、のちに『イスラーム統治論』として出版されました。1977年には長男モスタファーをナジャフで亡くしています。

197810月

パリ郊外へ

イラクを離れ、パリ郊外のノーフル=ル=シャトーへ。

約4か月の滞在中、世界中の記者の取材に応じ、イランの人々へ向けたメッセージを送り続けました。

19792月1日

帰国

約15年ぶりにテヘランへ。空港から街まで群衆が迎える。

メヘラーバード空港からベヘシュテ・ザフラー墓地まで、数百万人が沿道を埋めたと伝えられます。10日後の2月11日、革命は勝利しました。イランではこの10日間を「夜明けの十日間」と呼びます。

19793月30–31日

イスラーム共和国の成立

国民投票でイスラーム共和国が承認される。

同年末には新しい憲法が定められ、ホメイニー師は初代の最高指導者となりました。

1980

ジャマーラーンへ

心臓の病のためコムからテヘランへ移る。

テヘラン北部ジャマーラーン地区の小さな家に住み、隣接するホセイニーイェ(集会所)で人々と面会しました。以後、生涯をここで過ごします。

1980–88

8年間の戦争

イラクの侵攻に始まるイラン・イラク戦争を指導。

1988年7月、国連安全保障理事会決議598を受け入れ、停戦への道が開かれました。

19891月1日

ゴルバチョフへの書簡

ソ連の指導者に宛てて書簡を送る。

書簡は代表団によって手渡されました。その中で師は、イスラームの哲学者や神秘家たちの著作を学ぶよう勧めています。

19896月3日

逝去

テヘランで世を去る。86歳。

夜10時20分ごろ息を引き取りました。翌日の朝に訃報が伝えられ、イランでは「ホルダード月14日」(6月4日)が命日として記憶されています。6月6日、テヘラン南部に埋葬されました。

86歳生涯1902年 ホメイン — 1989年 テヘラン
14年流刑の歳月1964年11月 — 1979年2月(トルコ・イラク・フランス)
10年革命後の指導1979年2月 — 1989年6月

MYSTIC & POET

神秘思想と詩の人

コムで教えていたころ(1960年代)
コムで教えていたころ(1960年代)

政治の指導者として知られる以前、ホメイニー師はコムで神秘思想と哲学を教える学者でした。最初の著作が祈りの注解であったように、その関心の中心には、祈りを通じて神に近づくという霊的な道がありました。

師はまた、古典の形式で多くのガザル(抒情詩)を詠みました。その多くは晩年の作で、生前には公にされず、逝去後に詩集『ディーヴァーン』として出版されました。愛と酒杯、酒場といった古典詩の象徴を用いて、神への思慕を歌っています。

1989年1月、ソ連のゴルバチョフ書記長に宛てた書簡でも、師はイブン・スィーナーやモッラー・サドラー、イブン・アラビーといったイスラームの哲学者・神秘家の名を挙げ、その著作を学ぶよう勧めました。

最初の著作暁の祈りの注解شرح دعای سحر
倫理・霊性四十のハディースشرح چهل حدیث
礼拝礼拝の作法آداب الصلاة
社会秘密の開示کشف اسرار
法学タハリール・アル=ワシーラتحریر الوسیله
日本語訳ありイスラーム統治論ولایت فقیه
詩集ディーヴァーン(詩集)دیوان امام

THE MAN

ジャマーラーンの簡素な家

公式の記録や家族・側近の回想から知られる、日々の暮らしと人となり。

ジャマーラーンにて
ジャマーラーンにて
家

小さな借家

国の最高指導者となってからも、テヘラン北部ジャマーラーンの小さな家に暮らしました。部屋は質素で、家具もわずかだったと多くの訪問者が語っています。

集

ホセイニーイェでの面会

家の隣の集会所(ホセイニーイェ・ジャマーラーン)のバルコニーから、全国から訪れる人々に語りかけました。

時

規則正しい日々

祈り、読書、散歩、面会の時刻をきちんと守る暮らしぶりは、家族や側近の回想にくり返し登場します。

師

倫理の教師

若き日のコムでは、心の修養を説く倫理の講義を開き、学生だけでなく町の人々も集まりました。

家族

家族

1929年に結婚し、2人の息子と3人の娘が成人しました。長男モスタファーは1977年、流刑先のナジャフで亡くなっています。

遺

遺言

「政治的・神的遺言」と呼ばれる遺言書を残し、逝去の翌日、国会で読み上げられました。

CORE IDEAS

四つの柱

心

自己との闘い

外の闘いより大きいのは、自分の心との闘い(大ジハード)である。ナジャフでの講義で、学生たちにそう説きました。

立

独立

東西いずれの大国にも従わず、国民が自らの道を選ぶこと。革命の中心的な理念となりました。

弱

虐げられた人々

貧しい人々、虐げられた人々の側に立つこと。革命後、その支援のための組織がいくつも生まれました。

法

法学者による導き

公正で学識あるイスラーム法学者が社会を導くという考え。イスラーム共和国の憲法の柱です。

PORTRAITS

面影

ドラッグ、または矢印で回転します。

若き日に
1963年ごろ
ノーフル=ル=シャトーにて(1979年1月)
帰国の機内で(1979年2月1日)
イマーム・ホメイニー師
ジャマーラーンにて

FINAL CHAPTER

ホルダード月14日

1989年6月3日(イラン暦ホルダード月13日)の夜、ホメイニー師は療養先のテヘランで息を引き取りました。86歳でした。翌朝その訃報が伝えられると、イラン全土が深い悲しみに包まれました。

遺体はテヘランの大礼拝場(モサッラー)に安置され、葬送には数百万人が集まったといわれます。6月6日、テヘラン南部のベヘシュテ・ザフラー墓地の近くに埋葬されました。これに先立つ6月4日、専門家会議はハーメネイー師を後継の最高指導者に選んでいます。

埋葬の地にはやがて金色のドームと四本のミナレットをもつ霊廟が建てられました。今も多くの人が訪れ、毎年ホルダード月14日(6月4日)には、ここで大きな追悼式が行われます。

テヘラン南部のイマーム・ホメイニー廟
テヘラン南部のイマーム・ホメイニー廟

REMEMBRANCE

記念の日

イランでは、命日(ホルダード月14日)と翌日の「ホルダード月15日の蜂起」の記念日が祝日です。

命日(ホルダード月14日)

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ホルダード月15日の蜂起

—

帰国の日(バフマン月12日)

—

· 「夜明けの十日間」の始まり

イラン暦の日付を西暦に置き換えたもので、年によって1日前後することがあります。

QUESTIONS

よくある質問

なぜ「イマーム」と呼ばれるのですか?
「イマーム」は「先導する人」を意味するアラビア語です。イランでは人々が敬意をこめてホメイニー師をこう呼び、それが定着しました。預言者の子孫である12人のイマームとは別の、敬称としての用法です。
「ホメイニー」とはどういう意味ですか?
「ホメインの人」という意味で、生まれ故郷の町ホメイン(現在のマルキャズィー州)に由来します。本来の家名はムーサヴィーです。
なぜ黒いターバンなのですか?
黒いターバンは、預言者ムハンマドの子孫(セイイェド)であることを示します。
霊廟は訪れることができますか?
はい。テヘラン南部にあり、地下鉄1号線の駅からも近く、誰でも訪れることができます。女性はチャードルの着用が求められます。
日本語で読める著作はありますか?
富田健次訳『イスラーム統治論・大ジハード論』があります。その他の資料についてはイラン文化センターにお問い合わせください。

IraNippon 特集

駐日イラン・イスラム共和国大使館 イラン文化センター

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写真:Mostafameraji(CC BY-SA 4.0)、Mehrraz(CC BY-SA 4.0)、khamenei.ir(CC BY 4.0)/Wikimedia Commons