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こんにちは、イラン
IraNippon特集 · 人物
正義を貫いた<br><em>「知の門」</em>

IMAM ALI · シーア派初代イマーム

正義を貫いた
「知の門」

カアバで生まれ、クーファのモスクで倒れた人。預言者ムハンマドのいとこであり娘婿、そしてイランの人々が「父の日」に思い出す人物——イマーム・アリーの生涯と言葉、イラン文化に残した足跡をたどります。

600頃 メッカのカアバで誕生
656第4代カリフに
661クーファで殉教
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INTRODUCTION

イマーム・アリーとは

アリー・イブン・アビー・ターリブは、預言者ムハンマドのいとこであり、幼いころから預言者の家で育ちました。のちに預言者の娘ファーティマと結婚し、イマーム・ハサンとイマーム・フセインの父となります。

シーア派にとっては預言者の後を継ぐ初代イマーム、スンナ派にとっては「正統カリフ」の第4代。立場の違いを越えて、勇気、学識、そして何より「正義」の人として敬われてきました。

イランでは、アリーの名は日常の中に生きています。重い物を持ち上げるときの「ヤー・アリー」、伝統武術ズールハーネ、数えきれない詩。そして彼の誕生日は「父の日」です。

TIMELINE

生涯をたどる

年代は史料によって異なることがあります。

600頃

カアバの中で誕生

ラジャブ月13日、メッカの聖殿カアバで。

父はアブー・ターリブ、母はファーティマ・ビント・アサド。カアバの中での誕生はシーア派の伝承が伝え、スンナ派の史料の一部にも記録されています。幼くして預言者の家に引き取られ、育てられました。

610頃

最初の若き信者

十歳ほどで預言者の使命を信じる。

預言者の妻ハディージャとともに、イスラームを受け入れた最初期の人の一人です。

622

身代わりの夜

預言者のメディナ移住の夜、その寝床で眠る。

暗殺を企てる者たちの目をそらすため、命の危険を承知で預言者の寝床に身を横たえたと伝えられます。その後、預かり物を持ち主に返してからメディナへ向かいました。

624頃

ファーティマとの結婚

質素な結婚から、預言者の家系が続く。

二人の子ハサンとフセインは、のちに第2代・第3代イマームとなります。メディナ時代、アリーは数々の戦いで共同体を守り、勇者として知られました。

632

ガディール・ホム

最後の巡礼の帰路、預言者がアリーの手を掲げる。

ズー・アル=ヒッジャ月18日。シーア派はこれを後継者の指名と理解し、「ガディールの祝日」として祝います。スンナ派もこの出来事を伝えていますが、意味の理解が異なります。

632–56

沈黙の25年

統治の座から離れ、学びと助言に生きる。

預言者の死後、共同体の分裂を避けるため、アリーは対立よりも忍耐を選んだとシーア派は理解しています。この間、クルアーンの研究、農地の開墾や井戸掘り、困っている人の世話に力を注いだと伝えられます。

656

カリフとなり、クーファへ

人々に推されて統治者に。都をイラクのクーファへ。

約4年9か月の統治は、ジャマル、スィッフィーン、ナフラワーンの内戦に揺れました。それでも公正な分配と、地方総督に対する厳しい監督で知られます。

661

クーファのモスクで殉教

ラマダーン月19日の夜明けの礼拝中に襲われ、21日に逝去。

ヒジュラ暦40年。ハワーリジュ派のイブン・ムルジャムに剣で打たれました。遺言では、犯人への報復を一撃に限り、遺体を傷つけることを禁じています。遺体はひそかにナジャフに葬られました。

مَنْ كُنْتُ مَوْلَاهُ فَعَلِيٌّ مَوْلَاهُ
ガディール・ホムで預言者が述べたと、シーア派・スンナ派双方の多くの伝承が伝える言葉。「わたしを導き手(マウラー)とする者にとって、アリーもまた導き手である」という趣旨です。
ガディールの伝承(大意)

JUSTICE

正義を生きるということ

イマーム・アリーの名がいまも語られる理由は、権力の座にあっても自分を特別扱いしなかったことにあります。

01

公金は皆のもの

兄アキールが国庫から多めの分け前を求めたとき、アリーは熱した鉄を近づけて断ったと、自ら語っています(『ナフジュ・ル・バラーガ』説教224)。

02

統治者の質素

豪華な宴に招かれた総督をいさめた手紙で、自分は粗末な衣服二枚とわずかなパンで満ち足りていると書きました(書簡45)。

03

裁きの前では同じ

カリフでありながら、鎧をめぐる争いで一市民と同じように法廷に立ち、証拠が足りないとして敗れたという伝承があります。

04

夜の訪問者

夜になると顔を隠して孤児や貧しい家に食べ物を運び、亡くなって初めて人々がその主を知った、と伝えられます。

05

敵にも節度を

死の床で、自分を襲った者に必要以上の報復をしないよう、息子たちに言い残しました(書簡47)。

06

すべての人の尊厳

エジプト総督への手紙で、人々を「信仰の兄弟」として、あるいは信仰が違っても「同じ人間」として慈しむよう命じました(書簡53)。

NAHJ AL-BALAGHA

雄弁の道
『ナフジュ・ル・バラーガ』

10世紀末、学者シャリーフ・ラズィーがアリーの説教・手紙・短い言葉を選び、一冊にまとめました。アラビア語散文の最高峰の一つとされます。

241説教信仰、世界の成り立ち、社会への警告。
79書簡総督や指揮官、息子たちへの手紙。
480短い言葉知恵の言葉として広く引用される。
1009年頃編纂ヒジュラ暦400年。

数は代表的なスブヒー・サーリフ版による。版によって異なります。

なかでも名高いのが、総督としてエジプトへ向かうマーリク・アル=アシュタルに宛てた「書簡53」です。税の取り方、裁判官や役人の選び方、軍・商人・職人・貧しい人々それぞれへの配慮を、細やかに説いています。

統治者は民の上に立つ支配者ではなく、民に仕える者だ——この手紙は今日も「統治の倫理」を考える古典として、イランだけでなく広く読まれています。マーリクは任地に着く前に亡くなりました。

فَإِنَّهُمْ صِنْفَانِ: إِمَّا أَخٌ لَكَ فِي الدِّينِ، وَإِمَّا نَظِيرٌ لَكَ فِي الْخَلْقِ
人々は二つのいずれか——信仰における兄弟か、創造においてあなたと等しい者か。だからこそ、すべての人に慈しみを、という一節です。
書簡53より(大意)

IN IRANIAN CULTURE

詩と力と「ヤー・アリー」

詩の中のアリー
01

詩の中のアリー

フェルドウスィーからシャフリヤールまで

フェルドウスィーは『シャー・ナーメ(王書)』の冒頭で、預言者の言葉「わたしは知の町、アリーはその門」を詠み込みました。ルーミーは『精神的マスナヴィー』第1巻で、戦場で顔に唾を吐きかけられたアリーが、怒りで戦うことを避けて剣を収めた逸話を語っています。

20世紀の詩人シャフリヤールの「アリーよ、慈悲の鳳凰よ」は、いまもイランで最も愛される宗教詩の一つで、歌としても広く知られています。

ズールハーネ——「力の家」
02

ズールハーネ——「力の家」

ユネスコ無形文化遺産(2010年)

イラン伝統の鍛錬場ズールハーネでは、太鼓と詩の朗誦に合わせ、男たちが木製の棍棒(ミール)を振ります。アリーは勇気と謙虚さを兼ね備えた「理想の勇者(パフラヴァーン)」とされ、鍛錬はアリーや預言者をたたえる言葉とともに進みます。

「パフラヴァーン(勇者)とズールハーネの儀礼」は2010年、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。

「ヤー・アリー」——一歩を踏み出す言葉
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「ヤー・アリー」——一歩を踏み出す言葉

暮らしの中の名前

重い荷を持ち上げるとき、仕事を始めるとき、別れ際に——イランの人は「ヤー・アリー(アリーよ)」「ヤー・アリー・マダド(アリーよ、力を)」と口にします。日本語の「よいしょ」や「行ってきます」に少し似た、背中を押す言葉です。

アリー、ハサン、フセイン、ムルタザー、ハイダル——イランの男性の名前にも、その記憶が息づいています。

از علی آموز اخلاص عمل
شیر حق را دان منزه از دغل
行いの誠実さはアリーに学べ——ルーミーが、怒りではなく神のためだけに剣をとった姿をたたえた一句。
ルーミー『精神的マスナヴィー』第1巻(大意)
علی ای همای رحمت تو چه آیتی خدا را
که به ماسوا فکندی همه سایهٔ هما را
アリーを、幸運をもたらす伝説の鳥「ホマー」にたとえ、その慈悲の影が世界を覆うと詠む一句。
シャフリヤール(大意)

FATHER’S DAY

なぜ、アリーの誕生日が「父の日」なのか

イランでは、ラジャブ月13日のイマーム・アリー生誕日が「父の日」、同時に「男性の日」とされています。勇気と優しさ、家族への献身、孤児への思いやり——アリーの姿が、あるべき父親像と重ねられているのです。

この日、イランの家庭では子どもたちが父親や祖父に贈り物や花を渡し、街は祝いの飾りで明るくなります。ヒジュラ暦(太陰暦)で決まるため、西暦では毎年およそ11日ずつ早まります。2026年は12月22日、冬至の夜(ヤルダー)の翌日です。

生誕日・イランの父の日(ラジャブ月13日)

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負傷の日(ラマダーン月19日)

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殉教日(ラマダーン月21日)

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ガディールの祝日(ズー・アル=ヒッジャ月18日)

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ウンム・アル=クラー暦による計算で、イランでは1日前後することがあります。ラマダーン月19日・21日・23日の夜は「カドルの夜(みいつの夜)」として、イランでは夜通し祈りが捧げられます。

NAJAF

ナジャフ、黄金のドーム

イラク中部の聖地ナジャフ。アリーの廟は10世紀にブワイフ朝のもとで大きく整えられ、18世紀にはイランのナーデル・シャーがドームを金で覆いました。隣には世界最大級の墓地「ワーディー・アッ=サラーム(平安の谷)」が広がります。

FAQ

よくある質問

スンナ派はアリーをどう見ていますか?
預言者の家族の一員、第4代の正統カリフとして深く敬われています。違いは主に「預言者の後継者は誰か」という点にあります。スンナ派の主要なハディース集にも、アリーの徳をたたえる伝承が数多く収められています。
なぜイランでこれほど大切にされているのですか?
イランの多くの人が属する十二イマーム派にとって、アリーは最初のイマームであり、以後のイマームたちの父祖です。それに加えて、正義・勇気・謙虚さを体現した人物として、詩や武術、日常の言葉を通じて文化そのものに溶け込んでいます。
なぜ墓はナジャフにあるのですか?
敵に墓を荒らされないよう、遺言に従って夜にひそかに葬られたと伝えられます。場所は長く限られた人しか知らず、のちに明らかにされて廟が建てられ、その周りに町と学問の中心が育ちました。
「ヤー・アリー」は宗教的な言葉ですか?
もとはアリーに呼びかける祈りのことばですが、イランでは日常の掛け声やあいさつとしても使われます。信仰の深さにかかわらず、多くの人が自然に口にする言葉です。
『ナフジュ・ル・バラーガ』はどこで読めますか?
アラビア語の原文とペルシア語・英語の訳が広く出版され、オンラインでも読めます。日本語の資料については、イラン文化センターにお問い合わせください。

IraNippon 特集

駐日イラン・イスラム共和国大使館 イラン文化センター

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写真(ズールハーネ): Adam Jones / CC BY-SA 2.0