600頃
カアバの中で誕生
ラジャブ月13日、メッカの聖殿カアバで。
父はアブー・ターリブ、母はファーティマ・ビント・アサド。カアバの中での誕生はシーア派の伝承が伝え、スンナ派の史料の一部にも記録されています。幼くして預言者の家に引き取られ、育てられました。
610頃
預言者の妻ハディージャとともに、イスラームを受け入れた最初期の人の一人です。
622
身代わりの夜
預言者のメディナ移住の夜、その寝床で眠る。
暗殺を企てる者たちの目をそらすため、命の危険を承知で預言者の寝床に身を横たえたと伝えられます。その後、預かり物を持ち主に返してからメディナへ向かいました。
624頃
ファーティマとの結婚
質素な結婚から、預言者の家系が続く。
二人の子ハサンとフセインは、のちに第2代・第3代イマームとなります。メディナ時代、アリーは数々の戦いで共同体を守り、勇者として知られました。
632
ガディール・ホム
最後の巡礼の帰路、預言者がアリーの手を掲げる。
ズー・アル=ヒッジャ月18日。シーア派はこれを後継者の指名と理解し、「ガディールの祝日」として祝います。スンナ派もこの出来事を伝えていますが、意味の理解が異なります。
632–56
沈黙の25年
統治の座から離れ、学びと助言に生きる。
預言者の死後、共同体の分裂を避けるため、アリーは対立よりも忍耐を選んだとシーア派は理解しています。この間、クルアーンの研究、農地の開墾や井戸掘り、困っている人の世話に力を注いだと伝えられます。
656
カリフとなり、クーファへ
人々に推されて統治者に。都をイラクのクーファへ。
約4年9か月の統治は、ジャマル、スィッフィーン、ナフラワーンの内戦に揺れました。それでも公正な分配と、地方総督に対する厳しい監督で知られます。
661
クーファのモスクで殉教
ラマダーン月19日の夜明けの礼拝中に襲われ、21日に逝去。
ヒジュラ暦40年。ハワーリジュ派のイブン・ムルジャムに剣で打たれました。遺言では、犯人への報復を一撃に限り、遺体を傷つけることを禁じています。遺体はひそかにナジャフに葬られました。