
FATIMAH AL-ZAHRA · 預言者の娘ファーティマ
光り輝く人、
ファーティマ
預言者ムハンマドの娘であり、イマーム・アリーの妻、ハサンとフセインの母。イランではその誕生日が「女性の日・母の日」となっています。彼女の生涯と、イランの人々にとっての意味を紹介します。
INTRODUCTION
ファーティマとはどんな人か
ファーティマは、預言者ムハンマドと最初の妻ハディージャの娘です。イマーム・アリーと結婚し、ハサン、フセイン、ザイナブらの母となりました。「ザフラー(光り輝く人)」という呼び名で広く知られています。
預言者の子孫は、すべて彼女を通じて今日まで続いています。シーア派にとっては、預言者の家族「アフル・アル=バイト」の中心にいる人物であり、12人のイマームのうち11人は彼女の子孫です。
短い生涯でしたが、父への献身、貧しい人への施し、そして不正に対して声を上げた姿は、イランの人々にとって今も女性の理想像の一つです。
〔意味〕自分たちも食べ物を必要としているのに、貧しい人、孤児、捕らわれ人に食べ物を与え、「神の御顔のためだけに与えるのであって、見返りも感謝も求めない」と言う人々。クルアーン 76章8–9節(意味の要約)。シーア派をはじめ多くの注釈者が、アリーとファーティマの一家の施しに関連づけて解釈しています。
TIMELINE
生涯をたどる
615頃メッカで誕生
ジュマーダー・アル=アーヒラ月20日。
メッカで誕生
ジュマーダー・アル=アーヒラ月20日。
シーア派の伝承では、最初の啓示から5年目に生まれたとされます。より早い年を伝える記録もあります。両親は預言者ムハンマドとハディージャです。
619頃母ハディージャとの別れ
迫害の続くメッカで、母を亡くす。
母ハディージャとの別れ
迫害の続くメッカで、母を亡くす。
同じ年に預言者を守った叔父アブー・ターリブも亡くなり、「悲しみの年」と呼ばれます。幼いファーティマが父を支えたことから、「父の母(ウンム・アビーハー)」という呼び名が伝えられています。
622メディナへ
ヒジュラの後、アリーに伴われてメディナへ。
メディナへ
ヒジュラの後、アリーに伴われてメディナへ。
預言者がメッカを離れた後、アリーが残された家族の女性たちを連れてメディナへ向かいました。
624アリーとの結婚
ヒジュラ暦2年、ズー・アル=ヒッジャ月1日と伝えられる。
アリーとの結婚
ヒジュラ暦2年、ズー・アル=ヒッジャ月1日と伝えられる。
質素な婚資と暮らしで知られる結婚です。イランではこの日が「結婚の日」として暦に記されています。
625–27子どもたち
ハサン、フセイン、ザイナブ、ウンム・クルスーム。
子どもたち
ハサン、フセイン、ザイナブ、ウンム・クルスーム。
ハサンとフセインはのちに第2代・第3代イマームとなり、ザイナブはカルバラーの出来事を語り伝えた人物として敬愛されています。
631頃ムバーハラ
預言者が家族とともに臨んだ出来事。
ムバーハラ
預言者が家族とともに臨んだ出来事。
ナジュラーンのキリスト教徒の使節との対話の場で、預言者はアリー、ファーティマ、ハサン、フセインを伴って現れたと伝えられます(クルアーン3章61節に関連)。シーア派では、この5人を「マントの人々(アフル・アル=キサー)」と呼びます。
632父の死と、自らの逝去
父の死から数か月後、メディナで逝去。
父の死と、自らの逝去
父の死から数か月後、メディナで逝去。
父の死後、ファダクの地をめぐって預言者のモスクで語った言葉が「ファダク説教」として伝えられています。シーア派の伝承では、父の死から75日後または95日後に亡くなりました。遺言により夜のうちに埋葬され、墓の場所は今も分かっていません。
TITLES
名前に込められたもの
ファーティマには多くの呼び名があり、それぞれが彼女の人柄の一面を伝えています。
ザフラー — 光り輝く人
最もよく知られた呼び名。イランでは「ザフラー」という名の女性も多く見られます。
ウンム・アビーハー — 父の母
母を亡くした後、父を支え続けた娘への呼び名と伝えられます。
スィッディーカ — 誠実な人
言葉と行いが一致した、まっすぐな生き方を表します。
預言者の一部
スンナ派・シーア派双方のハディース集に、預言者が彼女を「自分の一部」と呼び、彼女を怒らせる者は自分を怒らせる者だと述べた言葉が記録されています。
IN IRAN
イランの暮らしの中のファーティマ
イランでは「ファーテメ」と「ザフラー」は今も女の子に最も多くつけられる名前の一つです。病院、学校、モスク、そしてテヘラン最大の墓地「ベヘシュテ・ザフラー(ザフラーの楽園)」にも彼女の名が刻まれています。
ファーティマを通じた預言者の子孫は「セイエド」と呼ばれ、名前の前に敬称として添えられます。黒いターバンの聖職者を見かけたら、それはセイエドであるしるしです。
一年の中では、誕生日のお祝い(女性の日・母の日)と、逝去を悼むファーティミーヤという、喜びと悲しみの二つの季節に彼女を思い起こします。どちらもイスラーム暦(太陰暦)で決まるため、西暦では毎年およそ11日ずつ早まります。
WOMEN’S DAY · MOTHER’S DAY
誕生日が「女性の日・母の日」に

イランでは1979年の革命以後、ファーティマの誕生日(ジュマーダー・アル=アーヒラ月20日)を「女性の日」と「母の日」として祝っています。娘、妻、母として、そして信念のために声を上げた一人の人間として、彼女を女性の手本と考えるからです。
この日、家族は母や祖母を訪ね、花やプレゼントを贈ります。職場や学校でも女性たちを祝う催しが開かれ、街の花屋は一年で最も忙しい日の一つを迎えます。
ジュマーダー・アル=アーヒラ月20日
女性の日と母の日を同じ日に祝います。太陰暦のため西暦の日付は毎年変わります(2026年は11月30日ごろ)。花、贈り物、家族の訪問が中心です。
5月の第2日曜日
「母の日」には赤いカーネーションを贈る習慣があります。女性全体を祝う日としては、3月8日の国際女性デーが知られています。
FATIMIYYA
悲しみの季節、ファーティミーヤ
逝去の日については二つの伝承があるため、イランでは二つの期間に追悼が行われます。ジュマーダー・アル=アーヒラ月3日は国の休日です。
75日の伝承
父の死から75日後とする伝承にもとづき、ジュマーダー・アル=ウーラー月13日ごろに追悼します。
95日の伝承
ジュマーダー・アル=アーヒラ月3日。イランで最も広く追悼される日で、国の休日です。
モスクと家庭で
黒い布が掲げられ、モスクや家庭で哀悼の集い(マジュレス)が開かれます。追悼の詩が朗唱され、食事(ナズリー)がふるまわれます。
静かな敬意を
この期間は結婚式や祝いごとを控える家庭が多くあります。お祝いの言葉ではなく、静かな気遣いがふさわしい時期です。
TASBIH OF FATIMAH
ファーティマの祈り

家事の重さに疲れたファーティマが手伝いを求めたとき、預言者は代わりに短い唱えことばを教えたと、スンナ派・シーア派の双方に伝えられています。今もイランでは、毎日の礼拝の後にこれを唱える人が多くいます。
アッラーフ・アクバル
神は偉大なり
アルハムドゥ・リッラー
神に讃えあれ
スブハーナッラー
神に栄光あれ
数字は唱える回数。シーア派で一般的な順序です。
LIGHT & FLOWERS
光と花
DATES
ファーティマにまつわる日
誕生日・女性の日・母の日(ジュマーダー・アル=アーヒラ月20日)
—
逝去の日・ファーティミーヤ(ジュマーダー・アル=アーヒラ月3日)
—
第一のファーティミーヤ(ジュマーダー・アル=ウーラー月13日)
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アリーとの結婚の日(ズー・アル=ヒッジャ月1日)
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シーア派の伝える日付です。ウンム・アル=クラー暦による計算で、イランでは1日前後することがあります。
FAQ





